を、旅行カバン2つにしたいと言っているDJがいたのを思い出す。
広島に持ち込んだり、買ったりした物は多々あれど、今それはゴミになっているのを見てふと、そんな事が頭を過ぎったんだね。
広島に出てきて、実家の部屋がほぼ親父に占拠され、挙句いらない物(と親父が判断した物)は片っ端から捨てられたからかも知れないけれど、とにかくゴミになっていく。
現在のサイズは旅行カバン3つといったところかな。パソコン入れたら超えてしまうけど、服やら本やらだけならそんなもんだ。昔は必要だったり、それこそ大事なものだった物がいらなくなって行く感覚ってあんまり実感が無いものなのね。
この荷物量なら別にメタルラックなんていらなかったんだよなぁ。適当に部屋の脇とか、それこそちょっとした台とかに乗せられるだけの服スペースが あればすんじゃったんだもの。本だって壁沿いに建造物すれば終わっていて、最後に電気ポットが慎ましくいてくれれば生活には困っていない。
しばらくは実家暮らしのはずだけど、また環境が整ったら一人暮らしモードに入るだろうし、そうしたら収納棚とかは買わずに行こうと思います。
ちなみに、今日の生活で言えば、椅子と、パソコンと、電気ポットと、鍋と、軽量カップ1リットルがあれば終わりだ。言い換えると、「腰を落ち着ける場所」「ネット」「うどん茹でる」「ウーロン茶」になるよ。
自分の部屋を見た人は少ないだろうけれど、ようは地面に置いてあった物のほとんどは「今はもう自分にとって必要なくなった物」達で、その上を歩いては外出して戻り、寝てたんだなぁと思うと、ゴミになった物の見方も少しは変わるわけですが。
二年前には自分を見つめなおすのに必要だった、クレヨンで描いた絵や、パンフレットなんかも今はゴミになってしまっている。今までいくつも「多 分、大切だと思うから」とかいって残してきたものはあったけど、今はあっさりと切り捨てられている。それだけ価値観が定まってきたのかなぁ…。
ちなみに、今日の生活で言えば、椅子と、パソコンと、電気ポットと、鍋と、軽量カップ1リットルがあれば終わりだ。言い換えると、「腰を落ち着ける場所」「ネット」「うどん茹でる」「ウーロン茶」になるよ。
自分の部屋を見た人は少ないだろうけれど、ようは地面に置いてあった物のほとんどは「今はもう自分にとって必要なくなった物」達で、その上を歩いては外出して戻り、寝てたんだなぁと思うと、ゴミになった物の見方も少しは変わるわけですが。
二年前には自分を見つめなおすのに必要だった、クレヨンで描いた絵や、パンフレットなんかも今はゴミになってしまっている。今までいくつも「多 分、大切だと思うから」とかいって残してきたものはあったけど、今はあっさりと切り捨てられている。それだけ価値観が定まってきたのかなぁ…。
師匠は「物が作られる時点で環境破壊がされている。だから作られる物は『環境破壊で失われる物以上の成果を出さなければいけない』のだ」と言っていたけど、こいつらはそうなれたんかなぁ…。
すぐには見えてこない価値かもしれないけれどね。
えー、連絡を取っていない皆様ごめんなさい。
こんな日記を書いていてなんですが、
今は自分の居たい場所を見つけるので
いっぱいいっぱいなので、少しばかり時間を頂けると嬉しい限りであります。